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徒然なるままに「ことばの教育の未来に向けて」

 

加藤 早苗(かとう さなえ)

■ ことばは社会とつながっている

 朝、A国とB国が緊迫した状態に入ったというニュース。あ、両方の国の学生がいたなと思って学校に行き、聞いてみると二人は同じクラスだという。授業が終わって担当の教師に、どう? と聞くと、いつもと変わりませんよ、と。

 ことばを学び、そのことばを使ってお互いを知り理解し合うことによって、自分自身で考え判断できるようになる。これが、ことばの力、ことばの教育の成果だと思っています。

 私が日本語教師になったのは1988年で、それから数年は、日本語について考えること、外国人学生たちにそれを伝えることがただただ楽しい時代でした。そこに、勤務校がインドネシアに分校を設立するという話が持ち上がり、1992年にジャカルタに渡りました。当時は日本企業が東南アジアに勢いよく進出し始めた時代。今以上に日本語の習得に大きな期待もメリットもあり、私はそこで日本国内とはまったく別の、ことばを学ぶ環境と目的、自分に求められるものの違いを体感しました。

 帰国後に担当となった新規事業開発部門での、韓国企業の研修事業では経済とことばの教育が密接な関係を持つことをより強く認識することになりました。韓国のほとんどの財閥企業から委託を受け、メンバーと共にゼロからイチを作り出すために週末も夜も惜しんでプログラムを考え、教材を作った三十代半ばのあの頃は、今思い出すと私が最も輝いていた時代だったように思います。しかしながら、これらのプログラムはアジアの経済危機のために、まさに一瞬にしてなくなりました。ことばの需要が、こういった外的要因によってドラスティックに変わることを身をもって学んだ瞬間でした。

 私の部門は日本語学校に吸収され、私は再び留学生の日本語教育と日本語教師の養成部門で数年を過ごし、2000年に現職に就きました。

 

■ ことばの教育は社会への道筋作り

 私たちの学校の設立理念「Cross Cultural Communications」(人間同士が真に理解し合うために、生き方や価値観などすべてのものを含めた文化の違いを互いに理解し合いながら共存する)、10年前の設立30周年以来掲げている「Japanese for everyone who needs it.」(日本語を必要とするすべての人に)の下に、私たちの試みはあります。

 

  • 日本で学びたいすべての人のために:ウィークリーコースの新設 

 進学や就職を目的に1年、2年の留学ビザを取得して日本にやってくる以外にも、海外の学生たちにとって留学しやすいプログラムが日本語学校にもっとちゃんとあっていい。そういう思いから2006年にできたのが、「毎週入学・1週間から・〜ができる(can-do)・会話中心・少人数クラス」という、長期コースとはカリキュラムもテキストも教職員組織もすべてを別立てにした「ウィークリーコース 」です。

 ヨーロッパの語学学校によく見られる形態のこのコースには、ヨーロッパだけでなく様々な国の学生たちがぽつぽつ集まってきてくれました。当時、私たちのウェブページにあったのは日本語、英語、中国語だけだったのですが、これをもっと多くの人に知らせたい、知ってほしいと思ったことが、学校のホームページの多言語化、17の言語が並ぶ結果へとつながりました。

 

  • 日本語の先の目標のために:選んでつくる自分だけの時間割

 学生の国籍は年々増え、今は年間50カ国以上の学生が学んでいます。母語により、日本語の得意なところと苦手なところが違う。人によって勉強したいことや興味が異なる。卒業後の進路もそれぞれ違う。プライベートレッスンではないから個別の対応はできないけれど、最大公約数のクラス群は作れるのではないか。長期コース内の「目的別授業」は、私が教え始めた1988年にすでにあった選択必修授業が体系的に整理され、学生にとっても教師にとってもバラエティに富んだ、より自由度の高い授業群として生まれ変わりました。

 “日本語学校だけれど大学のように”−−学生たちは学期のはじめに目的別授業の履修登録をして自分の一週間のプログラムを作ります。つまり学生ごとに違う時間割を持つことになるのですが、彼らが日本語レベルで分けられるホームクラスを抜け出し、厳密なレベルに関係なく、自分の興味のあること、必要なことを学ぶことができるこの授業は今や長期コースの大きな特徴となり、毎年夏に学校中で行く一泊温泉旅行と共に、卒業生にとって「在籍中の良かったこと」の上位に挙げられています。

 「試験対策系」「ビジネス系」「教養系」「実力アップ系」というカテゴリーから成る目的別授業には、たとえばこんな科目があります。季節で学ぶ日本語、イラストで楽しむ日本語、名前の日本語、食の日本語、男と女の日本語、歌詞の世界、物語を作る、私の辞書作り、楽しい漢字、テレビで音読、徹底的に文法、大切! 基礎文法、話して学ぶ文法、アクティブ・ジャパニーズ、リラックス・ジャパニーズ、マンガで学ぶビジネス商習慣、等々。そしてもちろんJLPTとEJU対策、さらに昨年から就職希望の学生の就活を支援する「就職サポートプログラム」もこの目的別授業の中に置かれることになりました。

 これら毎学期の様々な科目は、学校側が一方的に設定して教師を配置するのではなく、教師自身が考え授業を作り上げていく科目も多く、目的別授業は教師にとってのチャレンジの場、言い換えれば教師の腕の見せ所の場ともなっています。

 

  • 日本語を学びたいすべての人のサポートのために:挑戦は続く

 私はよく、学生、とりわけ留学生の人生を線路とその上を走る列車にたとえます。彼らは日本そして日本語に興味を持ち、自分の国から日本にやって来て、日本語を学び、さらに次のステップへ。それは大学や大学院、専門学校への進学である場合も、企業への就職の場合もありますが、その過程は学生一人一人にとって一本のライン、線路です。そしてその途中にある日本語学校や大学はゴールではなく通過点、一時停車する駅だと思うのです。彼らは彼らの列車で私たちの前を通り過ぎて、彼らの未来へと向かっていきます。この教育という一本でつながった線路上で、駅と駅が分断されることなく、もっともっと良い関係で連携し合い、学生たちの未来のサポートを共にできたらいいとずっと思っています。

 そして、私たちのまわりには留学生ではない外国人もたくさんいます。2008年に校舎を統合して現在の場所に移転した時、地域での日本語教育が始まりました。文化庁からの委託を受け、近隣の外国籍のお母さんたちが週に一度、子供連れで日本語を学びにきています。

 また、学校に通学できる人だけでなく、国内外を問わず日本語を学びたいと思っている人たちに向けて、e-ラーニング と学習アプリ の開発をスタートさせました。

 

■ 未来の地図に

 このように、自分が日本語教育に携わってからしてきた仕事は、主に仕組み、環境作りだったなと思います。

 それらの仕組みや環境は、一度作ってそれで終わりではありません。教育を営む者として当然必要な「質の保証」、そのために、世に言うPDCAサイクル、企画して実行し振り返り検証して改善するという、その繰り返しが必要になります。私たちはこの春、入学希望者、在校生、卒業生、その家族に対して、社会、世界で信頼される学校であり続けるために、自己点検、自己評価の延長線上にあるISO29991「公式教育外の語学学習サービス−要求事項」の認証と、一般財団法人日本語教育振興協会による第三者評価の認定を受けました。

 来年40周年を迎える私たちの学校にとっては、すでにある歴史と伝統をこれからも守っていきますが、守りは停滞です。常に進化している世界の中で立ち止まっているのは、後退しているのと同じです。私たちは守るべきものは守りつつ、常に前進し、常にチャレンジしていきたいと思っています。

 そしていつか渡すバトン、後に続くすべての日本語教育に携わる皆さんには、私たち先人が残した白地図の塗り残しに色をつけるだけでなく、新しいページに想像もつかないような未来を描き込んでいってほしい、それが日本語教育に携わって30年にならんとする今、私が願っていることかなと思う今日この頃です。

(2016.9.1)

 

《プロフィール》

インターカルト日本語学校 学校長。1988年より同校で留学生のための日本語教育に携わり始める。その後、インドネシアでの日本語教師経験を経て、ビジネス日本語研修の企画運営、日本語教師養成、地域での日本語教育、海外の日本語教師対象の日本語教授法講座実施など活動の範囲を広げている。

 

・インターカルト日本語学校 [ウェブサイト] [FACEBOOKページ

・(ブログ) 「こんにちは!加藤早苗です。」

 

著書:

WEEKLY J book1―日本語で話す 6 週間』(監修, 2012, 凡人社)

WEEKLY J for Starters 1―Dive into Japanese』(監修, 2012, 凡人社)

日本語能力試験対応 きらり☆日本語 語彙N4』 (共著, 2013, 凡人社)

日本語能力試験対応 きらり☆日本語 語彙N5』 (共著, 2012, 凡人社)

日本留学試験速攻トレーニング 聴解編』(共著, 2011, アルク) 

日本留学試験速攻トレーニング 読解編』(共著, 2011, アルク) など

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