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言語教育の商品化と消費が進むなかで、私たちは…。

 

瀬尾 匡輝(せお まさき)

佐野 香織(さの かおり)

瀬尾 悠希子(せお ゆきこ)

米本 和弘(よねもと かずひろ)

 

 

 瀬尾(匡)が香港で最初に勤めた教育機関は、大学付属の生涯/社会人教育機関だった。学習者の多くは昼に仕事を持ち、仕事帰りの夜や週末に“余暇活動”的に日本語を勉強していた。勤め始める前は、「働きながら日本語を勉強するなんて大変やな。大人ってキャリアアップせなあかんねんな。日本語ができたら、給料上がるんかなぁ。ほな、ビジネスのための日本語教えよか」というように思っていた自分がいたが、いざ教壇に立ち、日本語を教え始めると、なんというか「ゆるぅ~い」感じ(;^_^A 授業中、タスクをしているときに学習者の様子を見て回っていると、学習者から「これ、食べる?」とコンビニで買ったと思われるサキイカが……(「こんな乾きもん、授業中に食べれるか?! 口乾くわ!」と思いつつも、笑顔でもらう……)。別の学習者のほうに目をやると「授業の後、何食べる?」と談笑する姿……。そして、授業で日本語を勉強するよりも、クラスメートや教師達と週末に行くハイキングを一生懸命に英語と広東語を使いながら計画する学習者。学習者たちはキャリアアップのために日本語を身につけたいというよりも、むしろ週に1回教室に来て、友達に会ったり、先生と話して次の日本旅行のための情報を得たりするような形で授業を消費していた。こういうクラスが日常だった。そんな時にふと立ち止まって考えたのは「この学習者ってなんのために日本語を勉強しているんやろう??」ということだった。

 そして、学習者にインタビューしていくなかで、大学院で勉強したような、いかに効果的に日本語を学習して日本語を使えるようになり、留学や就職、昇進などを視野に入れ、文化資本(Bourdieu, 1977, 1984, 1991)を増やすことを必ずしも学習者は求めてはいないことがわかってきた。そんな中で、久保田竜子先生の「余暇活動と消費としての外国語学習」(Kubota, 2011)を読み、大きな刺激を受け、興奮した。その興奮を当時ポーランドにいた佐野さんやカナダにいた米本さん、シンガポールにいた瀬尾(悠)さんに話したところ、同じようなことが教育機関の種類や地域、国を越えて起きていることがわかった。ポーランドでは、日本語を通して自分探しをする姿や、サークルや部活動のように仲間と楽しむ姿が見られた。カナダの大学では入口はポップカルチャーであっても、その後、日本語の学習を自己実現や自信回復の方法として捉えるようになる学習者も見られていた。また、シンガポールの大学でも必ずしも将来仕事で日本語を使おうと考えているわけではなく、自分の専門分野とは違う勉強で気分転換したい、他学部の友達を作りたいという声も聞いた。このように、私達は一緒にその現象について互いの事例について持ち寄りながら考えてきた(その過程については、久保田他, 2014; 米本他, 2013を参照)。

 そして、余暇活動として日本語を学ぶ学習者について考えていくうちに、実は学校側も学習者に消費されるために様々な手法を取っていることに気づいた。たとえば、少しでも学習者を増やそうと、日本語母語話者教師から“本物の”日本語や日本の生活について学びたいと願う学習者に向けて日本人教師が揃っていることをアピールしたり、日本製品や日本文化に憧れを持つ学習者向けに日本文化の紹介動画を作ったり、教師に対するクレームが来ると即座に担当教師を交代させたりする教育機関が少なからずあった。このように教育機関は、言語教育や言語・文化そのものを商品として売り出し、学習者はそれらを消費している。この過程で「お客様は神様です」ならぬ、「学習者様は神様です」という構造が作り出されていた。また、これらの商品化の手法は学習者の希望や期待に応えようとするがゆえのものであるが、そのことを盾に母語話者を崇拝したり、“日本人”が持つ考え方や価値観を押し付けたり、固定化したりしてしまう危険性もあると考えている。

 だが、一方で、言語教育が商品化されることの利点も考慮しなければならない。まず、自分の立ち位置や教育観について、より一層意識することが必要になることが挙げられる。その中で、言語学習の魅力を高め商品にしていくために学習者が求めていることにより気を配るようになり、学習者のニーズに合致した教材や授業が生み出され、結果として、より多様な学習の形への気づきを促し、受け入れていくことができる可能性がある。また、教師が自身の得意分野を磨き、売り込んでいくことで自らに付加価値をつけ、金銭的なリターンが得られるようになる可能性もあるだろう。このように、言語教育の商品化は、学習者と教師双方に利益をもたらすとも考えられる。

 教育にお金の話を持ち込むのはタブーであるというイメージからか、これまで言語教育の商品化と消費に関する議論は避けられがちだったのではないだろうか。特に、学術的な分野においては商品化と消費を否定的にとらえた議論が多かったように思われる。しかし、言語教育の商品化と消費に向き合い、批判的かつ建設的な議論を交わしていくためには、頭ごなしに否定したり無批判に称賛するのではなく、利点をどのように生かしていくことができるのか、また考えられる問題をどのように防いでいけるのかを丁寧に検討していかなければならないだろう。また、言語教育の商品化と消費は余暇活動としての言語学習が盛んになってきたため、より顕著に観察されるようになっているが、実際は余暇活動的な学習の場にとどまるものではなく様々なところで見られる現象である。私たちはこの議論を多くの人々に開き、正面から取り組んでいくべく、シンポジウム[注]を企画した。そして、学術分野内の議論にとどめるのではなく、語学学校の先生方や運営者、出版社、企業の方々の参加も歓迎し、教育・サービス産業、人材育成、社会活動など多角的な視点から議論ができればと考えている。さらに、本シンポジウムでは基調講演者の話をうかがうだけではなく、基調講演者や発題者と、そして参加者同士が話し合える時間を多く設けた。このテーマについて、たくさんの方々と一緒に考えていきたい。継続的な議論を目指して、香港のシンポジウムの前後にはプレ企画・ポスト企画も計画されており、これを読まれた読者ともどこかでお目にかかり、共に議論ができればと切に願っている。

 

《注》

言語教育の「商品化」と「消費」を考えるシンポジウム

開催日程: 2016年7月16日(土)・17日(日)

開催会場: 香港大学

基調講演: 久保田竜子氏(ブリティッシュコロンビア大学)、神吉宇一氏(武蔵野大学)

ウェブサイト: [こちら

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参考文献:

Bourdieu, P. (1977). The economics of linguisitc exchanges. Social Science Information, 16(6), 645-668.

Bourdieu, P. (1984). Distinction: A Social Critique of the Judgement of Taste (R. Nice, trans.). London: Routledge & Kegan Paul.

Bourdieu, P. (1991). Language and Symbolic Power (J. B. Thompson, ed.; G. Raymond & M. Adamson, trans.). Cambridge, UK: Polity Press.

Kubota, R. (2011). Learning a foreign language as leisure and consumption: Enjoyment, desire, and the business of eikaiwa. International Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 14, 473-488.

久保田竜子・瀬尾匡輝・鬼頭夕佳・佐野香織・山口悠希子・米本和弘(2014)「余暇活動と消費としての日本語学習―香港・ポーランド・フランス・カナダにおける事例をもとに」第9回国際日本語教育・日本研究シンポジウム大会論文集編集会 (編)『日本語教育と日本研究における双方向性アプローチの実践と可能性』(pp. 69-85)ココ出版

米本和弘・鬼頭夕佳・佐野香織・瀬尾匡輝・山口悠希子(2013)「多様化する日本語学習における教育目標・学習目的・評価を探る―余暇活動と消費としての外国語学習の視点から」『2013 CAJLE Annual Conference Proceedings』 pp. 332-341

 

(2016.6.1)

 

 

《プロフィール》

瀬尾匡輝
コンコーディア・ランゲージ・ビレッジ(森の池)、ハワイパシフィック大学、香港大学専業進修学院、香港理工大学を経て、2015年4月より茨城大学講師。香港にいるときは、生涯学習や余暇活動的視点から日本語教育を考察・実践してきた。日本での最近の興味関心は、分野を超えた連携とホスト社会への働きかけ(そして、意外と大変なことに気づく……)。

 

佐野香織
アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター、ワルシャワ大学、お茶の水女子大学を経て、現在、早稲田大学日本語教育研究センター常勤インストラクター。研究関心は、成人学習、言語学習・教育。異なる領域・分野の人々がどのように学びあい、何を生み出すのか、ということに関心を持ち研究をすすめている。『にほんごこれだけ』1・2、(ココ出版)執筆、『日本語多義語学習辞典 動詞 』(アルク)執筆

 

瀬尾悠希子
これまで森の池、ハワイ東海インターナショナルカレッジ、シンガポール国立大学、香港大学専業進修学院、香港日本人補習授業校などで日本語教育に携わり、現在、大阪大学文学研究科・博士後期課程大学院生。関心は、海外で育つ日本につながりのある子どもたちの日本語教育、 生涯学習としての日本語教育、教師のアイデンティティ。

 

米本和弘
東京医科歯科大学 統合国際機構 助教
マギル大学博士後期課程単位取得満期退学。日本,カナダ,香港,アメリカで日本語を教える。著作に「高等教育における日本語学習再考-言語学習と学習者のアイデンティティ-」『Journal CAJLE』(2015,単著),「Implementing a flipped classroom in teaching second language pronunciation: Challenges, solutions, and expectations」『Preparing foreign language teachers for next-generation education(Lin, C.-H.他編)』(2016,共著)などがある。

 

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