top of page

       11

“を”ではなく、“で”

-私たちが、日本語教育で果たすべき役割-

 

石井 丈司 (いしい じょうじ)

 

 

 大切な日であるにもかかわらず、その日がいつだったか、不覚にも憶えていない。

 フェラーリのような真っ赤なジャンバーを着て、駅の階段をさっそうと降りてこられた日のようにも思えるし、酒場で「やっぱり、ストーンズはさぁ…」と言われていた日のようにも思う。

 いずれにせよ、私が「事業として日本語教育をやりたいと思います。相談にのっていただけないかと思いまして…」と春原憲一郎さんにお伝えしたとき、「日本語教育や日本語“を”するんじゃなくてさ。日本語教育や日本語“で”何をするかなんだよな」と即答された。

 最初はどういう意味か、まったくわからなかった。ただ、とてつもなく愛情をもって叱咤激励してくれた。私はうれしく、その日からそのことばの意味について真剣に考えるようになった。

 

 2012年、私たちは、外国人住民の方々が、「地震が起きたとき、どのように対処すればよいかがわかった!」「お医者さんとコミュニケーションがとれ、安心して治療を受けられた!」など日本でも母国と同じように生活でき、日本が第2の故郷であると感じられる社会を構築していくために、多文化共生事業「いろはにっぽん」を、社内のメンバーとともにスタートさせた。

 事業開始当初は、外国人住民向けに日本での生活をサポートする商品「いろはにっぽん生活応援パック」の販売や、自治体などと共同でごみの分別表、観光マップ、防災カード、避難マップなどを制作することで、事業の目的が達成できるように取り組んできた。

 ところが、事業を通じて、「いろはにっぽん」に求められることが変化していった。商品・サービスを通じて信頼を結んだ団体から「いろはにっぽんがやっている外国人への生活情報支援も大切だけど、やはり、地域の外国人の課題は、日本語なんです。私たちも、国際交流協会と協力して日本語教室をしているのですが、地域に住む外国人の95%は教室に通えていません。教育が得意の御社で、なにかできませんか?」などの声をいただいたり、また、子育て中の外国人のお母さんからは「これからも、日本にずっと住むので、仕事につきたいが、本当にしたい仕事につけない。あったとしても、簡単な仕事に限られている」「子育てをしているが、育児や学校の情報がすべて日本語でわからない」などの切実な声をいただいたりするようになった。

 たしかに、日本で働く外国人に対しては、留学生などのように、実施場所や時間帯などの面で日本語を学ぶ環境が十分であるとはいえない。ましてや、彼らにとっては、日本語ができなければ、自動車の免許も取得できず、日本語教室に通いたくても通えない、孤立した状況にあるように感じた。

 このようなことがあり、私は、冒頭の通り、春原さんのところに相談に伺った。そして、「日本語教育や日本語“を”するんじゃなくてさ。日本語教育や日本語“で”何をするかなんだよな」とアドバイスを受けるにいたった。

 

 それから悩んだ。日本語教育や日本語“を”することを、目的としてはいけない。日本語教育や日本語“で”もって、何をするのか。活動するにつれ、次第に忘れていった大切なこと、学びの目的、学びの意味、『何のために、日本語を学ぶのか?』。その問いに、私たちは、何ができるのか。

 

 導き出したひとつの答えは、とても当たり前すぎるかもしれないが、活動当初からの目的である“母国と同じように生活できるように、そして、もっと日本のことを好きになり、日本が第2の故郷であると感じられる社会を構築していくための”日本語教育を行っていくこと。具体的にいえば、「これまで日本語学習の機会に恵まれなかった人に、その機会を創っていくこと」。それが、私たちが日本語教育で果たすべき役割ではないかと思っている。

 私たちは、2014年度から、「家で学べる日本語通信講座(スペイン語版)」や「社会参加のための日本語通信講座(英語版、ミャンマー語版、カレン語版)」など、地域に生活している大人の外国人向けに、日本語を学ぶことを通してこれまでの生活を変えていくことができる教材や仕組みなどを提供するようになった。なかでも、「家で学べる日本語通信講座(スペイン語版)」で学んでいるボリビア人の女性からは「スーパーに行って、“半額”ということばが理解できた」という声をいただいた。生活に密着した日本語を通信講座という形で提供することで、日本生活の質(QOL)を向上させられた例といえるだろう。

 これからも、活動の目的を達成するために、これまで日本語を学習したくてもできなかった人へも、日本語学習の機会を広げていき、“母国と同じように生活できるように、そして、もっと日本のことを好きになり、日本が第2の故郷であると感じられる社会”を構築していきたい。

 

  “を”ではなく、“で”。

  外国人住民が日本語を学ぶ意味。

 

 それは、私たちにとって、「日本語教育で社会を変えていくなかで、外国人住民の『よく生きる』をどうやって実現していくのか」であり、そのことを自分に問い続けながら、活動を続けていきたい。そう強く思っている。

(2016.4.1)

 

 

《プロフィール》

1975年、岡山市生まれ。4世代同居・2児の父。岡山弁しか話せない祖父母のところに、アメリカ人留学生が長くホームステイしていたことから「ジョージ」という名前になる。大学卒業後、東京でバラエティ番組を中心に企画構成・リサーチ業務に携わる。帰郷後、2006年に、(株)ラーンズに入社。以来、高校生向けの地歴公民教材の編集に従事する傍ら、「いろはにっぽん」を立ち上げ、外国人住民への生活情報や日本語学習教材・サービスを地域の人とともに開発・提供し、多文化共生社会の実現にむけた活動を行っている。

bottom of page