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本屋のオヤジがもの申す
田中 久光 (たなか ひさみつ)
この度、平成27年度文化庁長官表彰を受けさせていただくこととなりました。これはひとえに皆さまの長年にわたる凡人社へのご支援、ご愛顧のたまものと厚く御礼申し上げます。
当社が1975年に創業してから約40年のあいだに、日本語教育は大きく変化しました。創業当時、9種類しかなかった日本語教材が、今や数えきれないぐらいになったことだけをみても、その規模が大幅に拡大したことを感じます。また、日本語教育をとりまく環境が社会とともに変化しつづけていることを常に強く感じています。特に学習者の需要の変化は顕著です。歴史的に見ても、戦後保障としての日本語教育を1つの原点として、経済発展のため、留学生のため、定住者、難民、帰国者のため、近年ではインターネットを利用して学習する独習者のためなど需要はさまざまに変化してきました。
このように学習者が変化し、多様化する一方で、日本語教師や教育現場はどれだけ変化してきたでしょうか。学習者の需要に対応するため日本語教師も変化しなくてはなりません。また、社会情勢や自分たちの置かれている立場が変わることによって、環境を整備しなおさなくてはならないこともあるでしょう。そういった点で、私は今の日本語教育の専門家たちに物足りなさを感じています。1970年代の専門家たちは自分たちの存在を社会に認めさせるため、日本語教育学会を立ち上げて社団法人化したり、強く働きかけて文部科学省の中央教育審議会(中教審)に日本語教育特別委員会を立ち上げさせたりしました。時代が変わった今、必要な環境が当時と同じであるはずがありません。今、必要な環境を積極的に追い求めてほしいと思います。
また、日本語教育が安定志向になっているのではないかとも思っており、その点にも不安を感じています。程度の差はあるかもしれませんが、現在の日本語教育関係者はそれぞれが日本語教育や日本語教育学に対する共通のイメージを持つことができるようになっているのではないかと思います。これは今までの日本語教育が蓄積した成果だと思います。しかし、その共通する世界を守ることに必死になってしまっていると感じることがあります。なにか日本語教育について指摘されたり、突っ込まれたりしたときに、亀のように首と手足を甲羅のなかに引っこめて、防御の姿勢をとっているように感じることがあります。多少ケガをする可能性があっても、ありのままの姿をさらけ出し、進んで批判の対象になるべきだと思います。社会情勢やニーズが目まぐるしく変化している現在、さまざまな批判や意見を取り入れながら、日本語教育の関係者一人ひとりが既存の日本語教育像をどんどん再構築していくことが必要だろうと思います。
さらに、そうやって新たな日本語教育像を創り出していくためには、強いリーダーが必要だとも強く感じています。上のたとえのように日本語教育が自らをさらけ出して傷ついたとき、傷ついた箇所を的確に治療しながら新たな姿を形成していけるよう牽引できるリーダーが必要だと感じています。
俺たちみたいな年寄りに遠慮してないで、若いやつら、しっかりやれよ! 期待してるぞ。
(2015.12.1)
《略歴》
1938年(昭和13年) 兵庫県加古川市生まれ
1961年(昭和36年) 通商産業省入省
1963年(昭和38年) 通商産業調査会
1975年(昭和50年) 株式会社凡人社創業