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言語・社会・文化の統括的教育実践の理論化」という表現について

〜いくつかの出会いと目立たないところで話してきたことを辿って〜

砂川 裕一(すなかわ ゆういち)

 このところ数年の間、私は「日本語日本事情教育」ないしは「日本語教育学」にかかわる自らの課題の当面の表現として「言語・社会・文化の統括的教育実践の理論化」という表現を使ってきています。熟れない表現であることは自覚していますが、他にいい表現が見つけられないので、この堅くて無骨な表現を使っています。この表現には、「言語(日本語)の教育・習得」という研究実践領域と密接に関連し厚みのあるファブリックとして織りなされているとでも言えるような構造内的諸領域すなわち「言語」「社会」「文化」「教育」、そして学的な研究態度の在り方すなわち「実践」「理論」、そしてさらにそれらを総合的・体系的に把握する際の「統括」という捉え方を含意させています。

 この課題意識と表現に辿り着くまでには、いろいろなことがありました。ここでは、表題にあるように「いくつかの出会い」と「目立たないところで話してきたこと」を辿り直しながら、熟れない表現の背後にある経験的素地について述べてみたいと思います。

 

SFとの出会い

 小学校5年生になったとき、そろそろマンガは卒業しろと父が買い与えてくれた本は、当時の私にはちょっと重みのあるハードカバーの単行本『魔の衛星カリスト』というジュビナイルもののSF小説でした。小松崎茂の印象的な表紙や口絵に魅せられ、知的でクールで、しかし未知の世界に情熱を持って果敢に挑んでいく人々を描くSF小説の虜になって高校時代までを過ごしました。「あり得ないということはあり得ない」という、「未知であること」に可能性や活路を見て取る思考感覚を教えてくれたものが、幼かった頃の“SF体験”だったと考えています。

 

哲学/廣松渉との出会い

 大学を卒業後、もっと広い世界に行ってみたいという単純な思いだけで、片道切符を手にしてニュージーランドにでかけました。そのときのいわゆるカルチャーショック体験が、その後の哲学的な思索や、言語教育・言語習得を含む比較文化基礎論研究への道標を与えてくれたように思います。

 帰国した後、2年間の浪人生活を経て大学院に入り、卒業論文執筆時に劇的な出会いをしていた『世界の共同主観的存在構造』という哲学書と取り組むことになり、廣松渉という希有な哲学者に決定的な影響を受けることになりました。

 廣松先生の押しかけ学生になった私は、彼の周りに集う同世代の研究者達と知り合う機会を持ちました。“廣松シューレ(廣松学派)”と呼ばれた一群の人たちですが、経済史学、経済学、経営学、人類学、社会学、哲学、政治学、思想史学、在野のマルクス研究家や労働運動家など、さまざまな興味と課題を持ちつつ“ひろまつ”に魅せられ心惹かれた人々から、多くのことを学ばせてもらいました。個別諸学問に通底する哲学的視座・近代知批判の視座とでも呼びうるものを意識したのもこの出会いの中でだったと思います。

 

日本語日本事情教育/小出詞子との出会い

 他方で、群馬大学教養部の日本語日本事情担当の職を得た際、学部時代以来授業などで面識を得ていた日本語教育・日本語教員養成の草分け的存在であった小出詞子先生に挨拶に行くことにしました。小出先生は、自ら育てた多くの学生を日本国内はもとより世界各地に送り込んで日本語教育の普及に尽くしていました。その学生を送り込む先(職場)の一つを私のようないわば門外漢が占めてしまったことを心苦しく思った私は、その点を伝えてわびるとともに、私なりの仕方で日本語教育に貢献していきたいと話したように記憶しています。本音の吐露ではあったのですが、そのとき小出先生は「あなたがいつそう言うか、待っていたのよ」と私の背中を強く押してくれたのです。その後、大学での日本語日本事情教育に携わる中で、“ひろまつ”と“日本語日本事情教育”がいわば融合するようになっていったと言えるように思います。

 

日本事情研究/科研グループとの出会い

 当時、「日本事情とは何か?」という課題が目の前にありました。同様の問題意識を持つ人々から声をかけてもらって、日本国内の日本事情教育の現場の実態を調査する機会がありました。記述式の回答に盛られている授業の実態や担当教員の考え方を分析・整理した報告論文、さらにその後私なりに行間を読み取りながら、現場の実態を踏まえて解釈的再構成を行い理論的に整理し直した小論が、私のその後の日本語日本事情教育論について考えていく出発点になりました。科研グループを中心にした『21世紀の「日本事情」―日本語教育から文化リテラシーへ―』シリーズ、そして『リテラシーズ―ことば・文化・社会の日本語教育へ―』シリーズの出版活動を通じて私なりに考えを進めて来ることができたと考えています。

 

熟れない表現を携えて/未知なる可能領域へ

 いくつかの出会いが重なり合い融合し昇華することで新たな浮き島のような知的な地平が形作られたように思います。冒頭に触れた「言語・社会・文化の統括的教育実践の理論化」という課題意識はその地平の上に立ち上がっており、そしてその表現は、「日本語日本事情教育」が内的構造契機として含み持っている中枢的な領域を立体的に配置したものになっています。つまり「言語」「社会」「文化」「教育」、そして「実践」「理論」、「統括」です。「拡散する日本語教育」の現状とそこに観える課題諸領域を、既存の個別領域名との用語上の連続性にも配慮しながら、その構造内諸契機を俯瞰的・統括的に把握しようとする企図を表現しています。

 それは、「日本事情論」から出立し、「日本語教育論」を改鋳しつつ、諸学の協働を求めつつ、『日本語教育 学のデザイン』に共感しつつ、「日本語日本事情教育論」を学的に再構成しようという課題意識の表現です。

それで・・・、今考えていることを少し

 上記の記述内容と整合するかどうかは自分でもまだよく分かっていませんが、「言語・社会・文化の統括的教育実践の理論化」という課題意識下で、今、頭の中で渦を巻いていることをいくつか簡単に述べてみたいと思います。

 

① 思想史的観点=近代知批判という視座

 廣松は「現代」の思想史的位置づけを以下のように述べています。

「近代的世界了解の構え、すなわち、資本主義時代に照応するイデオロギーという意味での・・・ブルジョア的世界観の地平がもはや桎梏に転じ、破綻に瀕しているということ・・・、さりとて、人々はまだ、それに代わるべき新しい発想法の地平を、明確な形では向自化しうるには至っていないということ、今日の思想的閉塞情況は、要言すればこれに起因するものである・・・。/われわれは、今日、過去における古代ギリシャ的世界観の終熄期、中世ヨーロッパ的世界観の崩壊期と類比的な思想史的局面、すなわち、近代的世界観の全面的な解体期に逢着している・・・。閉塞情況を打開するためには、それゆえ、・・・“近代的”世界観の根本図式そのものを止揚し、その地平から超脱しなければならない。」

(『世界の共同主観的存在構造』講談社学術文庫版、p.16-17)

 

 私はここに表明されている廣松の観点と視座を共有したいと思います。現代社会においてグローバルに拡大・拡散しつつある様々な矛盾をまえにして、そしてその矛盾のただ中で日本語教育が直面している拡散と領域的拡大情況をまえにして、私は、近代的個別諸科学・諸学問の限界を乗り越えていこうとする道筋を共有したいと考えています。

 

② 日本語教育の日本事情論的展開

 旧稿の「『日本事情論』の視界の拡充のために」(『広島大学留学生教育 第3号』1999)で、「日本事情とその教育」の現場の実態には個別諸科学・諸学問の「個別性故の限界」を乗り越えうる諸契機が孕まれていることを論じました。現在の日本語教育の拡散・拡大情況は、かつての単なる言語(日本語)の教育という個別領域に、旧稿で論じた「日本事情の汎領域的な特質」が憑依したかのような様相を呈していると考えています。「日本語教育の日本事情論的展開」という際、かつて日本事情とその教育を論じた際と同様に、その拡散情況を負わされた過重な負債としてではなく、近代的個別諸学問・諸領域を超えた「未知なる理論的・実践的な学的領域」として再構成・再措定できないかという想いを踏まえているつもりです。

 

③ 日本語日本事情教育の新たな視界

 近年、神吉さんたちが『日本語教育 学のデザイン』を著し、川上郁雄さん達が『公共日本語教育学』を著しました。日本語教育学会でも新たに構築された理念体系の中に、学会として追求するべき3つの社会的研究課題が掲げられています。

課題1:日本語教育学の「学問的専門分野」としての体系的枠組みの構築

課題2:日本語人材・複言語人材育成のための日本語教師養成・研修の理念と枠組みの再構築

課題3:多様なキャリア形成のための日本語教育内容の体系的再編成です

『日本語教育学会理念体系2016』pp.27-31)

 

 個人的な気持ちではありますが、前世紀末から考えていた日本語教育の展開の方向性がおぼろげながらも見えてきているように感じています。

 今は、そのようなことに思いを巡らせているところです。

(2017.06.01)

《プロフィール》

群馬大学社会情報学部を2014年に退職(群馬大学名誉教授)。2017年4月から国際交流基金日本語国際センター所長。国際基督教大学教養学部理学科卒、同大学大学院比較文化研究科修士課程修了(文学修士)。「日本語日本事情教育論」関係の思考の出発点となった旧稿を1つ挙げると「日本語教育能力検定試験と日本事情」(『言語』1990年10月号)、また最近の日本語教育学会での議論に関わるものとしては「日本語教育学会『中・長期的研究課題』について―『準備段階のメモ』の概要を軸にして―」日本語教育連絡会議論文集Vol.29、2017年3月)。

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