04
社会・コミュニティ参加をめざすことばの教育へ
佐藤 慎司 (さとう しんじ)
私が日本語教育に携わるようになったのは、学部生の時、指導教官にゼミの留学生のチューターを依頼されたことがきっかけです。当時は中曽根首相による留学生受け入れ10万人計画が謳われていましたが、私が大学4年生の時に日本語や日常生活で困っている留学生を助けるという名目のチューター制度が始まりました。指導教官に依頼され私が担当になったた中国人の王さんは特に日本語に不自由しているわけではなかったので、王さんが困っていること(大家さんが旅行に行くとお土産を買ってきてくれるが、いつももらってもいいものかなど)や、王さんの育った中国のこと(文化大革命など)など毎週会っていろいろおしゃべりをしていました。
その後、王さんとのおしゃべりの経験があまりにも楽しかったため、東京で就職してからも同じような経験ができる場所はないかと探しました。ふと新聞を読んでいると、日本語ボランティアの記事が目にとまったので、そこに行きボランティアを始めました。いろいろな人の生き方や考え方を知りたい、そしてそれを自分の生きる糧にしたい、相手も同じように思ってくれるといいなというところから入った私の日本語教育ですが、このボランティアでの経験が今でも私の研究と教育実践の原点にあることは間違いありません。
ことばの教育とは?
私は、すべての人、考え方、事象、物事などは、多かれ少なかれ、お互いに影響を与え合い、常に変化していると考えています。そう考えると、言語・文化学習という行為は、単に言語・文化に関する知識を習得するだけではなく、ことばを使うという行為を通して言語・文化になんらかの形(維持する、変えていくなど)で影響を与えていくことだと言えます。また、ことばの教育という行為は、ことばの使用を常に促している、つまり、ことばを使って、まわりの人に、コミュニティに、未来に、かかわっていくことを促しています。この行為は、学習者の未来、学習者が生きる未来を創造する手助けをしている、あるいは、学習者とわれわれが生きる未来を一緒に創造していると言い換えることもできると思います。
したがって、日本語教育においては、「日本語」「日本文化」に関する知識を提供し、その「日本語」を使えるようにしていくだけでなく、教師も学習者もさまざまなところで遭遇する「日本語」「日本文化」にまつわる語りを批判的に捉えることが大変重要になってきます。そして、さまざまな人、考え方、事象、物事(この中には「日本語」「日本文化」にまつわる語りも含まれると思います)にどう関わっていくか考え、実際にことばを使いながら、自分の立ち位置を決め(つまり、自分はどのような場で、どんな人間として、どのような立場から、だれに、どんなことばで発言するのか)、積極的、消極的、あるいは戦略的に関わっていく必要があります。そのような考えは、以前、熊谷由理さんと『社会参加をめざす日本語教育―社会に関わる、つながる、働きかける―』(佐藤慎司・熊谷由理編, ひつじ書房, 2011)としてまとめました。
ことばの教員に携わるものに必要な資質とは?
では、ことばの教育に携わる者の資質としてはどんなものが挙げられるでしょうか? ことば(日本語教師の場合は日本語・日本文化)に関するある程度の知識はもちろん必要でしょう。そして、読み書き、言語・文化、外国語(学習)などという概念を批判的に捉えていくことのできるクリティカルリテラシーの力も大切であると考えます。また、教育者として、学習者の様子を見ながら教室や活動をデザインしていく力、そして、既存の構造や体制を愛情を持って批判的に見ること、その構造や体制にどう関わっていったらよいかを考えるだけでなく、実際に関わっていくことも奨励するクリティカルペダゴジー的視点も必要なのではないかと思います。その際には、教師の考えが批判される可能性も十分にあるという覚悟までをももってさまざまな実践に臨む必要があります。
学習者には、これからのよりよい未来の構築のために、積極的に、あるいは戦略的に、そして時には消極的に、社会・コミュニティ、そして、それらと密接に関係のある自己のアイデンティティ構築にかかわる権利があります。そして、よりよい未来を構築していく中で、新たな言語使用、文化、アイデンティティなどを認めていくのか、いかないのかは、最終的には学習者も含めた我々次第なのです。したがって、教師は、日本語教育から関連分野、社会・コミュニティに影響を与えていこう、変えていこうという発想を持つ必要があります。しかし、そのような実践は教師だけで、日本語教育の分野だけで可能になるものではありません。その実現のためには学習者はもちろん、関連分野、社会・コミュニティの人々をも巻き込み、これからどのような社会・コミュニティを構築したいかを一緒に考えていくことが不可欠であると私は考えています。
(2015.09.15)
《プロフィール》
コロンビア大学教育大学院(ティーチャーズカレッジ)博士課程修了。博士(Ph.D)。専門は教育人類学、外国語教育。ハーバード大学、ミドルベリーサマースクール、コロンビア大学講師を経て、2011年よりプリンストン大学日本語プログラムディレクター、主任講師を務める。主要共著書に『文化、ことば、教育』(2008年、明石書店)『アセスメントと日本語教育』(2010年、くろしお出版)『社会参加をめざす日本語教育』(2011年、ひつじ書房)『異文化コミュニケーション再考』(2013年、ココ出版)”Rethinking Language and Culture in Japanese Education” (2014年、Multilingual Matters)などがある。