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どんな地図を描くか、どんだけ地図を重ねるか

 

山野上 隆史(やまのうえ たかし)

1.はじめに

 『文化と歴史の中の学習と学習者―日本語教育における社会文化的パースペクティブ—』で原稿を書いてから、早10年…。当時、私は大学院生でヴィゴツキーや状況論の勉強をしながら、とよなか国際交流協会の日本語交流活動にボランティアとして参加していました。その後、とよなか国際交流協会の職員になり、文化庁で働き、今年の春から再度、とよなか国際交流協会で働いています。
 これまでの経験上、地域における日本語教育に限定した話になりますが、全体のテーマとなっている「地図」にぐいっと引き寄せて、思いついたことを二つほど。

 

2.一つ目の地図 ~日本語教育にできること
 文化庁では2009年から2016年まで7年間働きました。文化庁で最初に取り組んだ課題は、地域における日本語教育の内容・方法の改善でした。「生活者としての外国人」に対する日本語教育について、そのカリキュラムや教材、能力評価などを何とかせよというもの。
 開発過程では、あちらこちらの地域を訪問し、ボランティアや日本語学校の教員、大学教員、国際交流協会の職員、自治体の職員と話をする機会がたくさんありました。そこでは、内容・方法の重要性もさることながら、「多くの人が日本語教育の大切さ、重要性、効果などがなかなか周りに伝わらない・伝え切れていないと感じている」と思いました。
 そんな中、地域によって状況は違うので、地域における日本語教育を一般化するのは難しいのですが、どれぐらいのお金をかけて、どれぐらいのことをすれば、どれぐらいの効果が得られるのかということを数字付きで示した「日本語教育にできることの地図」があれば、一歩目が踏み出せる地域や事業所がたくさんあると感じました。それは作り上げたとしても、きっとラフなもの、もしかしたら強引なものになってしまうのかもしれません。「嘘ではないけど、必ずしもこうなるとは言えない」というぐらいのものかもしれません。でも、それぐらいざっくりと描いた「日本語教育にできることの地図」があってこそ、日本語教育を専門としない人にも伝わるもの、日本語教育を専門としない人でも説明できるものになり、日本語教育を進めることができるのではないかと思います。

 

3.二つ目の地図 ~日本語教育につながらないこと
 今年の4月からは、とよなか国際交流協会で働いています。市内の複数個所で日本語教室が開催されており、曜日や時間帯もいろいろ。大人対象だけでなく、子どもを対象とした教室もあります。全国的に見たら、取り組みはとても充実しているほうに入ると思います。が、そんな地域でも、この半年の間に、いろいろ考えさせられることがありました。
 13年前に来日し、とよなか国際交流センターから徒歩2~3分のところに住んでいながら、ずっとセンターの存在を知らず、一度も日本語を勉強したことがないという人がいました。役所を通して日本語教室のチラシなどが手元に行っていないはずはないのですが、目にとまらないんだなと思いました。
 来日して1年、とある教室に通っている中学生。教室では「勉強はできる。宿題も終わっているし、全然問題ない」と言って、ずっとゲームなどをして過ごしていました。が、3か月ほど経ったある日、突然「勉強が分からない」と言い出しました。それまで「得意だ」と言っていた数学も「問題文の日本語が分からない、授業の説明が分からない」と。教室に通い始めてから、そこが自分の場所だと思えるようになり、安心して「分からない」と言えるまで、時間がかかるんだなということを学びました。
 そして、その子の友だち。同じ中学生。本人は「日本語も分からないので、高校なんて無理。だから、勉強なんてしない。今さらがんばったって……」と思い込んでいたけど、友だちが勉強を始めたことを聞き、もしかしたら、自分にも道が開けるかもしれないと思うようになる。で、何度か教室の近くまでは来たんだけれども、参加するところまではいかない。「恥ずかしい」とのこと。でも、この「恥ずかしい」は単に「shy」なのではないと思います。
 
 そんなことが、ちょくちょくあります。
 
 まだ、つかめていないことだらけですし、私にはあまり見えていないのですが、日本語学習までの道のりの途中に、見えない壁? 谷? があるのかなと思うようになりました。日本語教室が開催される時間や場所などの条件が合わなくて教室に行けないということであれば、今の時代、条件をクリアする手段は何とか見つかると思います。実際に、この数年、インターネットや通信教育を活用した取り組みの進展は本当にすごいです。
 日本語教育をめぐる議論というものは「日本語教育が真ん中に描かれた地図」を持った人たちが、自分たちの地図を元に議論をしているのだと思います。しかし、実際には日本語学習の部分が破れて欠けた地図を持った人もいるし、最初から日本語教育が描かれていない地図を持った人もいる。端っこに小さく小さく描かれた地図を持っている人もいる。気持ちや力、希望も含め、いろいろなものが押し込められたり、削がれてしまったりした地図についても議論しないといけないのではないかと思います。
 
4.これから
 自分自身、立場が変わるとこんなに見え方が変わるのかということを実感している最中。地図の違いについて考えることが大事だと思う一方で、いろんな地図を重ね合わせて、日本語教育の厚みにつなげていくことが大事だと思うようになりました。これからも、ちょっとずつ描いていこうと思います。
※外国人のエピソードは本当に短いものですが、個人が特定できないように、ぼかして、さらに再構成しています。

《プロフィール》

今年の4月から公益財団法人とよなか国際交流協会で働いています。日本語教育の直接の担当というわけではないのですが、これまでとはまた違った形で見えてくるものがあるのかな…と楽しみにしています。
 とよなか国際交流協会の取組について、ウェブサイトFacebook(「いいね!」をお願いします)のほか、Gooddoというサイトでワンクリックで応援をお願いしています。以下のサイトから一日一クリック、お願いします。
【Gooddo:とよなか国際交流協会】http://gooddo.jp/gd/group/atoms/?
 最後に余談。今年の4月から姓が「山下」から「山野上」に変わり、「山野上隆史(山の上高し)」になりました。そのため、おもしろくない冗談を言う人だと思われることが増えました。これは意図的ではありません。偶然です。

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