23
書店人の役割と堕落
鈴木 隆(すずき たかし)
これからの日本社会のあり方について考えるとき、外国人とともに生きていく「共生」社会を実現することは必須である。そしてその実現のため、日本語教育には何ができるのかを考え、実行していくことが私たちには求められている。この認識は、私を含む、日本語教育に携わる人たちの了解事項だと考えている。「共生」社会を実現するには、理念を共有化しながら、企業、学校、地域、そして行政をつなぐ、日本語教育のネットワークを構築してゆくことが必要となる。地域日本語教育や年少者の日本語教育では、それなりの先行した成果も得られているのではないだろうか。
ところが、私たちを取り巻く社会状況を見ると、「共生」とその実現に向けた「対話」とは正反対に位置する差別や分断が増長しているように思われる。トランプ政権の誕生やイギリスのEU離脱、EU域内での右派勢力の抬頭などの社会変化に象徴され、私たちの住む東アジア地域でも、領土・安全保障問題に関わる国家対立が顕著になってきている。国内でもヘイトスピーチの横行、安倍政権による特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の拡大解釈、「共謀罪」法の創設の動きなど国家主義的状況が見え隠れする。これらの分断や差別・衝突は、資本主義のグローバル化で加速度的に速まった変化が人々の心に落とした不安の影を、煽りたて利用して推し進められている。グローバリズムの負の産物として生み出された新たなナショナリズムの形態といえよう。
私たちが求める「共生」と「対話」は、戦後の日本国憲法の前文および第一条、九条に明示されている国民主権(民主主義)と平和主義の価値観にもとづいたものであり、様々な困難を武力ではなく「対話」により解決することを理念とし、そのための不断の努力を私たちに課している。ところが、今日のナショナリズムの抬頭を許してしまったのは、その国民主権(民主主義)の平和な温室で育った私たちの知性の甘えと、怠慢ではなかろうか。平和憲法の庇護のもと国際社会から見れば、平和裏に戦後の復興と成長をとげた日本社会ではあったが、一国型の経済成長に陰りが見え、と同時に資本主義のグローバル化が進む。多国間関係での社会システム像を描かねばならないにもかかわらず、将来的に安心できる共生社会の全体像とその方策を、人々に語ることができていない。果たして私たちはナショナリズムの成長を食い止めるための思想風土を育てていたのだろうかということに今一度向き合う必要がある。
日本語教育は、人と人のコミュニケーション活動を学際的領域の中心においている。「共生」を推し進めるための「対話」に困難はつきものだが、その困難を乗り越えるための術と哲学を提供することが日本語教育につきつけられている不動のテーマである。そしてもはや今は、分断・差別とそれにともなう衝突が横行している世界だからこそ、日本語教育が社会に働きかけ、または寄与する時期にあることを、私たちは自覚すべきである。
東日本大震災直後には、国内の日本語学習者が激減し、しばらくは日本語教育業界の低迷が続いていた。震災から時間が経つにつれ、学習者が激増し始める。隣国中国からの留学生の増加よりも顕著であったのが、ベトナムとネパールからの留学生である。日本語教育施設の設置基準の変更も後押しし、日本語教育の環境は大きく変化した。日本語教育に金の匂いを嗅ぎつけ商機を求める商売人も増えている。これまでの経験則が通じない日本語学習者の増加は、日本語の教え方にも影響を与えている。急増した新しい学習者に向き合うことだけで持てる体力を削り、翻弄されているように見える。
こうした日本語教育と日本語教育を取り巻く環境変化は、日本語教育の専門書店を営む私の仕事にも大きな変化をもたらした。「熱い社会」を想起させる現状で、私たち書店人までもが、余裕を持てずに、金儲けにばかり精を出している。金儲けをするだけでは、あえて日本語教育に携わる意味を失ってしまう。消費財としての本ばかりを生み出す出版社、消費財としての本ばかりを購入する日本語教育機関、その間にあって、売れる本を売ることが書店の仕事だとうそぶいていては、知性は退廃する。自分が生活している領域においてなしうることをする。日本語教育の専門書店を営む私がなしうることは、「共生」と「対話」を支える知性ある良書を探し出し、光をあてることである。この程度の凡庸なことだからこそ、呼吸するのと同じくらいふつうにできるはずであり、呼吸することを忘れてしまえば自死に至ることは言うまでもない。
自戒を込めあらためて言おう、知性の堕落を呼び込むべきではない、苦しくても資本の論理に押し切られない視座を維持し、見失ってはならないと。
(2017.05.09)
《プロフィール》
高校までは愛知県で過ごし、大学時代は古都金沢で。卒業後は主に出版関連の仕事を経て、書店業に転身。日本語教育の専門書店「そうがく社」を営んで20余年。好きなことは、SF小説を読むこと、考古遺跡を見ること、地層や岩石を見ること、岩に登ること、サッカーを観ること。