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日本語教育から隣語教育へ
中野 敦 (なかの あつし)
1)社会の変化
社会とは、コミュニケーションのある複数の人の集まりのことです。コミュニケーションはことばを介して行われ、ことばは、社会をなりたたせるのにかかせません。現在、社会が急速に変化しているといわれます。それはつまり、「コミュニケーションのある複数の人の集まり」がこれまでとは違っていることを意味しています。かつて私たちの社会には、地図の上に線で囲うことができるような地理的、空間的特徴がありました。国境線をもつ国の名が、社会を成立たせることばの名となっているようにです。ところが、人の移動に加え情報機器の発達が、地域や国境を越え、地理的空間的制限を受けない人のつながり(社会)を次々に成立させはじめたのです。人類史における三度目の変革と呼ばれるほど大きな出来事です。こうしてグローバル社会の幕が開きました。実際、この10年で私には、韓国語を母語にする人生の伴侶と中国語を母語にする義妹、そして英語を母語とする義理の従兄弟ができましたが、離れて暮らしていてもFacebook等SNSを通じて日常的にやりとりがあり、親族としてのつながりを感じています。
2)ことばの変化
社会の変化は、ことばにも影響を及ぼしています。ことばは、地理的空間的に制限された場で、通時的に共有される要素としての文化と、共時的に共有される要素としての社会を背景とするものでした。ところが、情報革命によって半ば強制的にもたらされたグローバル社会には、通時的に共有された文化はなく、共時的に共有することが期待される社会の情報量は膨大です。加えてそこで使われることばは、必ずしも当人にとっての第一言語とはかぎらないなど、現代のコミュニケーション事情はこれまでにないほど変容しています。このような時代にあって、私たちが目指すべきことばの教育とはいったいどのようなものなのでしょうか。私は、ことばとその教育の地図を描くには、その前提となる社会という星の姿を見極めなければならないと考えます。その上で、日本語教育が、これからも日本で日本語を第一言語とする人たちとやりとりができるようになることをめざすのかを考えなければならないと思います。
3)教育の変化
国際文化フォーラム(以降、TJF)は、相互理解をめざすなら日本を伝え日本を学んでもらうだけでなく、同時に日本を学んでくれる相手を学ぶべきという考えに立ち、海外の日本語教育を支援するのと同時に国内の外国語教育も支援しています。私はその考えに強く共感しています。しかし、互いを知るほどに相手の嫌な面も見えてくるものです。近年では、一部でヘイトスピーチに代表されるような相互理解とは真逆の現象が散見されるようになりました。私はその様子を見て、世界が社会をひとつにするなら、相手のことを知るだけでは何か足りないと感じるようになりました。実際、嫌韓嫌中運動へと向かう人たちの多くは韓国や中国についての関心が高く、知識も豊富です。しかし、相互理解に必要な交流の量も質も圧倒的に不足しているように思われます。一方、TJFが実施するプログラムで、ぶつかりあいながらも協働して困難な課題を乗り越えた交流の経験を持つ中高生たちには、知識と共に偏見なく人を見る目と異なる他者と関わろうとする態度、実際に新たなつながりを果たす力などが身についています。以上の経験から私は、多様な他者とつながる力には、ことばの学びに加え、交流の学びが欠かせないと思いいたりました。
今、私たちが抱えている地球温暖化、感染症、金融不安などの課題は、どこかの国が単独で解決できるものでなく、連帯して立ち向かわなければならないことばかりです。私たちは、国境を隔てながらも共通の課題を抱えた同じ社会に生きる隣人であり、「つながる」力の育成は喫緊の課題といえるでしょう。TJFは、2012年に多様な言語教育が共有できるフレームワーク(以下「めやす」)を発表し21世紀という時代の文脈のなかで、外国語科目で何を目標にし、何をどのように学ぶのかを見なおしました。そして、知識理解「わかる」や技能「できる」と区別し関係構築「つながる」を育成すべき能力目標に据え、社会とつながる学びをすすめることを提唱しました。日本語教育もこれからの社会を見据え、交流活動を重視し関係構築能力を目標のひとつにした教育に取り組まなければ、学習者の役に立たない時代遅れのことばの学びになってしまうのではないでしょうか。
故南アフリカ共和国元大統領のネルソン・マンデラ氏は次のように述べています。
If you talk to a man in a language he understands, that goes to his head.
If you talk to him in his language, that goes to his heart.
私は、これからの日本語教育は社会を異にする「外」人とつながるための外国語教育ではなく、社会を同じくする「隣」人とつながるためのことばの教育へと舵を切るべきではないかと思います。そのために、日本語教育は、日本語を第一言語とするいわゆる日本人のことばの学びも包括した隣語教育へと進展することを、次の10年で取り組むべき課題のひとつに提言したいと思います。
(2015.08.01)
《プロフィール》
公益財団法人国際文化フォーラム プログラム・オフィサー
学習院大学大学院日本語日本文学科博士前期課程修了。修士(日本語日本文学)。
韓国慶北大学語学堂、韓国カトリック大学言語文化学部で日本語指導に携わった後、文化庁文化部国語課で日本語教育施策の立案および実施に従事する。2009年より現職。「外国語学習のめやす」作成プロジェクト、日韓の互いのことばを学ぶ中高生交流プログラム、隣語講座等を担当。PLAYFULな隣語の学びを模索中。