top of page

       05

新しいものが最善とは限らない?

―テクノロジーで職人技を超えるために―

伊波 哲 (いは さとし)

 

 

『みんなの日本語 初級Ⅰ』の主人公のマイク・ミラー氏がIMCに入社した同年、私はスリーエーネットワークに入社しました。現在は広報の仕事をしていますが、はじめに配属されたのは、海外からの技術研修生のために短期の専門研修や、日本での生活に適応するために日本語や日本文化を学ぶ一般研修と呼ばれるコースプログラムを企画運営する部署でした。

 

日本で最新の技術を学びに来た彼らがニヤリと笑って

 

「日本のメディアは今もカセットテープが主流ですか?」

 

と質問してきたことを今でもよく覚えています。

当然、ちまたにはオーディオCDが販売されており、今ではほとんど見なくなってしまったMiniDisc(MD)がカセットテープにとって代わろうかというときでした。

 

私が担当していた現場の先生方は、『みんなの日本語』や『新日本語の基礎』の音声CDが発売された後も、好んでカセットテープを使っていました。CDプレーヤーの使い方がよくわからないと、クラスに呼ばれることもしばしばあり、若かった私は、何というアナログな世界に来てしまったんだろう。と先行きを案じました。そりゃあニヤリとされるわけだと……。

 

しかし、授業をよく見ていると、「今のもう一度」とちょっとカセットテープを少し巻き戻し、ぴたりと狙った場所から再生するのです。慣れた手つきで巻き戻し、再生を繰り返し、スムーズに発音練習を進めていたのです。先生に聞けば、何度かCDでの頭出しも試したそうですが、戻りすぎたり、1トラックまるまる戻ってしまったりと、カセットテープに比べて使い勝手が悪いので、あえてカセットテープを使っているとことでした。

 

 あれから10数年、あの先生の熟練の技とも言える頭出しを誰でも再現できるような教材を提供することは可能か、暇を持て余して考えてみました。ポイントは以下の3点です。

 

①現場で使う際、古いメディアよりも不便だと感じてはいけない

②音声メディア、ならびにそれを再生するプレーヤーが既存のものに比べて高価ではない

③再生するために「コンピューターを立ち上げて」云々というわずらわしい手続きなしで使える

 

あくまでも仮定の話ですが、『みんなの日本語 初級I 第2版』(以下『みんな』)を例に挙げて考えていきます。

 

例文や新出語彙などを一つずつトラックで区切ることでCDの頭出しはカセットテープよりも速く、正確に行えます。これで3つのポイントの一つ目はクリアです。しかし、オーディオCDのトラック数は99までと制限があり、単語一つを1トラックとすれば1枚のCDに99語しか収録できません。『みんな』の語彙は参考関連語彙を含めると約1,500あります。これをCDにすると,単語だけで15枚です。また、文型、例文、会話、練習A、B、C、問題すべてを一文ずつ区切ると約3,500にもなります。単語と合わせて5,000トラック。CD51枚セットです。『みんな』のCD5枚セットが8,000円+税です。価格は単純に10倍になるわけではありませんが、それなりの値段になることは間違いありません。二つ目はクリアできません。

 

そこで可能性を検討したいのは,近年、音声メディアとして多く使われているmp3ファイルを収録したCD-ROMです。ざっと計算したところ、先の音声5,000トラックを1枚のCD-ROMに収録することは可能です。つまりCD-ROM1枚で販売できれば既存のCD5枚セットよりも安くできるはずです。これであれば、二つ目をクリアできます。

 

最後に、そのCD-ROMをそのまま再生できる機器が現場にあるかどうかです。

昔ながらのCDプレーヤーでは再生できませんが、最近は同じ大きさ、形態でCD-ROMを再生できるプレーヤーが安価で購入できます。ただ、今現場にある昔ながらのCDプレーヤーが壊れない限りは、このために買い替えるという期待はできません。

機械が得意という先生方は、すんなりお使いになれるかと思いますが、そうでない方もまだまだいらっしゃいます。実際に、弊社の英語教材を購入したお客様から、CD-ROMの音声がうまく取り込めませんというお問い合わせを週に1回は受けています。三つ目のポイントは今の段階ではクリアとは言えないでしょう。

 

15年以上かかっても、現場における「あの」カセットテープを凌駕する音声教材が提供できておらず、その先生とカセットテープのプレーヤーが現役ならば、今でもカセットテープを使って授業をされていることでしょう。つまり、密かに研修生から小ばかにされていたカセットテープは、実はその現場にとっては最良の選択で、最も効率的に教えられるツールだったということです。

 

結局、教科書や教材は道具であり、教える先生方が教えやすい、教わる学生さんたちが学びやすければメディアは紙でも電子でもカセットでもCDでもDVDでもブルーレイでもなんでもいいと思うのです。現在は電子書籍が注目されていますが、カセットからCDにメディアが変わったときのように、紙の教科書をただ電子にしただけでは間違いなく不便になるでしょう。先に挙げた3つのポイントを踏まえ、いくつもの技術と知恵を織り交ぜながらより便利な教材を適した形で提供するのが出版社の役目なのかなと思います。現場の先生方から意見をいただき、さまざまなニーズに応えるべく、あまり多様化しないでとちょっとだけ祈りながら日々模索している10年後でありたいものです。

(2015.10.31)

 

 

《プロフィール》

DNA組み換えと微生物培養に没頭した学生時代を経て、現在スリーエーネットワークの広報担当。入社後14年間、外国人研修生のため研修プログラムの企画運営に従事し、50か国以上の研修生を担当。2013年から広報の仕事につき、会社、商品の広報活動、広告、ちらし、販促グッズのデザインやウェブサイト構築、管理を行う。

bottom of page